「金曜散策」2024.10.11By SeimeiWada
(pho;三十三間堂「不退転」)
▲命題1
命題の確実性にもとづいているものは、いつでも存在の根拠律に従って直感的に認識される必然性なのである。
▲命題1-1
義足で大股に歩いてくる論理的証明ではない。
▲命題2
様々な経験的な検証があってはじめて、仮説をささえる帰納は完全なものに近づく。
▲考察
次の一節を用意してみる。
「而今の山水は古仏の道現成」(ニコンノサンスイハ、コブツノ、ドウゲンジョウナリ)
直訳すると、今ある山水は仏の言葉の顕現である。
この世界はいかようにして成立してあるのかを古代の人は考えていた。
まず意識と身体というものを存在の諸範疇とした。
そこから物質的固さの象徴として地という言葉をあたえた。水という言葉には流動性の象徴を、火にはエネルギーを、風には呼吸、変化を。そして、空には意識存在の本質をあたえた。
これらを先の一節、山水に含ませた道現成と理解してみることにより、このニコンノ、サンスイハ、コブツノ、ドウゲンジョウナリを解釈できるのではなかろうか。
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[彼らは欲する。
絶望から身を守れるほどに成功し、
退屈から身を守れるほどに失敗する。
By SeimeiWada]