「日曜散策」2025.1.12By Seimei Gonnjirou Wada
(pho;三十三間堂「不退転」)
▲命題1
Summum Bonum(ラテン語での最高善)もそれを達成すれば、意志の不滅の充足が得られる究極の動機を指し示している。
▲命題2
意志はなんらかの満足によって新たな意欲をやめることはできない。
▲命題2-1
それは、時間が終わったり始まったりすることが出来ないのと同じである。
▲考察
人間そのものと言うとき、それは意欲の絶え間ない更新の活動というふうに定義可能かもしれない。
スンムム・ボヌムという最高善の達成により動機が消滅するときとは死んだときである。良い言葉使いをするならば、解脱したときと言い換え可能であろう。
もう少し東洋風にいうならば動機を喪失させた空(クウ)の状態すなわち涅槃としての意欲を喪失すること、つまり動機から自由になったあらゆる執着からの解放すなわち涅槃に達した境地である。かかる命題をこのように解釈してみた。
もっと下世話な思考をするならばどうなるか。
最高善を求めることは美しい、涅槃への努力も美しい。しかし部分的、段階における地点での達成しか可能ではない。達成という終点駅を設定するから眉唾ものに映ってしまうのである。動機、意欲また新たな更新の繰り返しとしての余命90年を刻み込む。達成などという執着そのものの垢をとりのぞくことから一歩をすなわち各分野の体系というものを構築すべきではあるまいかと日々感じている今日この頃ですと散文風に締めくくるも乙なものかもしれない。
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[彼らは欲する。
絶望から身を守れるほどに成功し、
退屈から身を守れるほどに失敗する。
By SeimeiWada]